お知らせ

真作か贋作か

2003.08.13 Jのコラム

江戸川区限定月刊誌 

Vino2003.8.15 Vol.9より

真作(しんさく)か贋作(がんさく)か 


そう、その猫をはじめて見たのは、私がまだ小学生の頃だったろうか。

幼き日より猫を飼い、その可愛らしさを十分に承知していたにもかかわらず、その猫をみてかなりの戦慄を覚えたことを今でもはっきりと記憶している。

柔らかくて暖かそうで、思わず手をのばして撫でてみたくなるような愛らしい親子の猫の絵だった。

今は亡き父(20年前に他界)がその当時でもかなり有名な日本画家”藤田嗣治(つぐじ)”の猫の絵を、その当時にしてもかなり高額な金額100万円で手に入れたのだった。

そしてそれからというもの、ずっと広い居間のど真ん中にこの親子猫の絵を飾り、日々、家族全員で見ては癒されながら暮していた。

言うならば、わたしたち家族は長きにわたり、この親子猫と喜びも悲しみも共にしてきたのだった。
 
ことのきっかけはもう随分前になるが、藤田嗣治画文集である(猫の本)が出版されたことにある。

フジタの描いた猫たちが130匹余りも一堂に会したのである。

早速、その本を買い求め、恐る恐るページをめくりながら、手元にある自分の絵と比較してみた。

ページを開くたびに見たこともない猫達がなんともいえず鮮烈に胸を打ってくる。

まさに圧巻だった。

そしてそれから一カ月もたたない頃、偶然にも伊勢丹の新宿店でその猫の絵をメインにした個展が開かれたのである。

雨がぐずついて肌寒く、相場つきも悪い日であったが、仕事が休みだったので思い切って出かけてみた。

7、8枚の藤田にしてはあまりぱっとしない猫の絵が展示されていた。ただ一枚につき、平均4、500万の値段はついていたろうか。

たいがいの絵は一枚にの絵に猫が一匹しかいないのに、自分の持っている猫の絵は親子なので2匹だし、そしてなにより展示されている絵と比べても、構図が断然いいと私は一人で悦に入り、この絵が本物ならいくらの値がつくだろうと考えながら、知らず知らずのうちに興奮していた。
 
いてもたってもいられず、日本では最も権威のある東京美術倶楽部に鑑定を依頼した。鑑定料はなんと驚きの5万円だった。

真作(ほんもの)であれば、それに加えて鑑定書を発行するための3万円が必要になるという。

すでに藤田嗣治本人が亡くなっているせいなのか、理由ははっきりとはわからないが、それにしても鑑定だけで5万円はかなり高い気がした。

これで贋作(にせもの)だったら目もあてられない。

そして鑑定結果が出るのは2カ月後とのことだった。

鑑定結果が出るまでの間は辛抱強い自分もそれなりにいらいらがつのった。

それでもこの絵が本物であるという鑑定書付きで親子猫の絵が戻ってきたときには、堂々と美術館に寄付したり、売りたければオークションにもかけられるのである。

そしてなによりその素晴らしい絵そのもの自体の存在とその絵が個人の所有物であることを世間に知らしめることができるのである。

鑑定結果のでる日の朝、私は向こうからの電話を待ち切れなくなり、こちらから電話をした。

”贋作です。” 

聞き間違えたかと思い、いま一度聴き直したが答えは同じだった。

全身の力が一気に抜け、軽い目まいを覚えたのを今でもはっきりと記憶している。

贋作である根拠も鑑定者の名前もシークレットで一切明かされなかった。すぐには理解し得なかったが、要は贋作(にせもの)ではないかもしれないが、間違いなく真作(本物)であるとは認められないので鑑定書は出せないとのことだった。

長い長い間のこと、わたし達家族は居間のど真ん中にかけた”にせもの”の藤田嗣治の絵を見ては感動し、宝物のように崇めてきたのである。

それこそ大笑いの種である。

もし親父が生きていて、この事を知ったら、どんなにショックを受けただろうと考えると、それからしばらくの間、晴れやかな気分もなくかなり落ち込んでいた。

それから3カ月くらいたった頃、普段は田舎にいてあまり連絡もしないお袋と電話で話す機会があった。

言い出しにくかったけれど、藤田の絵についての事の顛末を切り出した。

するとお袋は「画商さんはもしかするとニセモノかもしれないけど、100万でどうですかって、ちゃんと話していたよ。

それでもパパがその絵が気に入って買ったんだから、それはそれでいいじゃない。

だからもしかしたらニセモノかもしれないなと思っていたのよ。」と。

もし親父が生きていたなら寡黙で純粋な親父の夢をぶち壊したのは贋作の(にせもの)の親子猫の絵ではなく、

欲にかられたわたし自身だったのかもしれない。
 
いま、その親子猫の絵は以前にもまして、なお一層神秘的でやわらかな光を放ちながら、わたしの目の前にある。
       

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